料理人はやめとけ。それでも私が20年辞めなかった理由

入って数日で辞めようとしていた

入って数日で、私は辞めようとしていた。今だから言えるが、あの頃は本気だった。

何だここは?思ってたのと全く違う

思い描いていたのは、ドラマの世界だった

当時、和食や寿司屋の板前を描いたドラマが流行っていた。新人同様の主人公が奇想天外な料理を作って周りをあっと驚かせ、親方に気に入られあっという間に先輩たちを追い越していく。まさにドラマや漫画の世界だ。

私が思い描いていたのも、あの世界だった。でも実際はもっと現実的だった。複雑な人間関係。きっちりしたピラミッド型のヒエラルキー。早朝から深夜まで長時間にわたる労働。理想からは、圧倒的にかけ離れていた。

「思っていたのと違う」と感じたのは特定の場面ではなく、常にそうだったというのが正しい。想像との落差が凄すぎた。ただ、それも日を追うごとに、笑い話にできる程度の慣れに変わっていった。それが継続できた理由の一つかもしれない。

包丁を握らせてもらえない日々

木のまな板に5本の包丁が刃を揃えて並び、奥に魚と野菜が置かれている

最初の数か月は、まさに雑用だった。大きな職場に入ったので、食材に触れるのは賄いを作るときくらい。包丁もほとんど握らせてもらえず、暇があれば鍋洗いや掃除をさせられていた。

当時はまったく納得できなかった。何のために入ったんだと思っていた気がする。でも今は、あの時間がすごく大切だったとわかる。

鍋を洗う事、これは道具を大切に扱うこと。掃除をする事、これは美味しい料理を作るのは綺麗な環境を整えるという心構えを持つこと。これは歳をとってからわかることだと思う。当時の自分に言っても、たぶん信じなかっただろう。

引き止めたのは、先輩だった

辞めようとした私を止めたのは、周りの先輩たちだった。中でも、当時すごく可愛がってくれた一人がいる。精神的に弱っていた私に親身になって寄り添ってくれた。あの時期を越えられたのは、その人がいたからだと今でも思う。

休みも、友達も、親戚付き合いも失った

この仕事は、他の人が休んでいるときに働く仕事だ。世の中が休みの日ほど、こちらは忙しい。当然、失うものも出てくる。友達付き合い。親戚付き合い。誘われても行けないことが続くと、そのうち誘われなくなる。

当時は朝から晩まで仕事のことばかり考えていたので、それはそれで余計な脳のリソースを使わなくて良いという意味では良かったのかもしれない。

残ったのは、3割

同期や後輩を見渡すと、残っているのは肌感で3割ほどだ。付き合いがある人間はほとんどいなくなったと言ってもいいくらいだと思う。辞めた人たちのその後はばらばらで、別の業種についた人、実家を継いだ人、結婚して子どもを産んだ人もいる。どれが正解ということはない。

一度きりの人生、楽しいことをやる方がいい

料理長メモ:残った3割の中でも、上のポジションまで残っている人はさらにわずかだ。その中でも独立できた人は、この業界ではある意味で成功した人という扱いを受ける。

それでも続けているのは、あの一言があるから

それでも私が続けられているのは、来店されたお客様が帰りに「美味しかった。また来ます」「いつも美味しい料理をありがとう」と言われる瞬間。この言葉を言われたとき、この仕事を続けてきて良かった、と心の底から思う。

お客様に直接、面と向かって感想を言われる。料理人は数少ない職種の一つだと思う。

20代の自分に会えるなら

もし20代の自分に会えるなら、私はこう言うと思う。人並みの生活と幸せ、そして人並みの給料を得たいなら、この業界はやめておけ。失うものが多すぎる。

その代わり、好きをやり抜きたいなら、苦しい未来になるとは思うけれど、頑張り続けてほしい。そうすれば、普通に生活する道を選んだ人生では絶対に会えない人に会えるし、経験もできる。何より、好きで続けているので、ある程度自分の自由に料理を作れるようになってからは、割と楽しく過ごせるようになる。

ただし、それはだいぶ先の話だ。

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