10年経っても続くご縁に、心がじんわりした話**
先日、ひさしぶりに胸がぽっと温かくなる出来事がありました。
昔働いていた職場の先輩から突然連絡が来て、
「実家から野菜が送ってきたんよ。良かったら少し持って帰りんさい」
と言って、新鮮な野菜をたくさん渡してくれたんです。
私はその職場を辞めて、もう10年近くになります。
それぞれの人生が動いている中で、
自然と連絡は少なくなっていくものだと思っていました。
実際、普段から特別連絡を取り合っているわけではありません。
それでも、ふとした瞬間に私を思い出して声をかけてくれる——
そのことが何より嬉しくて、
「あぁ、こういうつながりって本当にありがたいな」と
しみじみ感じました。
■ 私は職場を辞めると、そのまま距離が空いてしまうタイプ
正直に言うと私は、
職場を辞めるときに、その環境の人間関係ごと手放してしまいがちな性格です。
「あの時代はあの時代」と割り切ってしまうというか、
前に進むために気持ちを切り替えてしまう癖があるんです。
だから離れてしまうと、ほとんどの場合そこで関係が薄れていきます。
そんな中、10年経っても連絡をくれて、
こうして気遣ってくれる人なんて、数えてみれば本当に数人。
多くても2〜3人くらいです。
その中のひとりが、今回野菜を分けてくれた先輩でした。
「縁って、数じゃないんだよな」
と改めて感じさせられました。
大事なのは“どれだけ深く残っているか”なんですよね。
■ 人の本質は「助け合い」なのかもしれない
ある人がこんなことを言っていました。
「ホモサピエンスの本質的な仕事は、お互いを助け合うことだ」
人は一人では生きていけなくて、
誰かを支えたり支えられたりすることでコミュニティが成り立ってきた。
だからこそ、私たちは「誰かに貢献できた」と感じたときに
一番の充実感を得るのだ、と。
この言葉が、今回の出来事と強く結びつきました。
先輩は
「実家から送ってきたから、ちょっと分けてあげよう」
という、ただその一瞬の気遣いをしてくれただけなのかもしれない。
でも、それが私にとっては
「私は誰かの記憶の中で、まだ生きているんだ」
そんなふうに感じられる出来事だったんです。
誰かを気にかけること。
誰かに気にかけてもらえること。
その両方が、人の存在意義を支えているんだろうなと改めて思いました。
■ 気が合う人なんて、そんなに多くない
10年経っても気が合う人って、そう多くありません。
これは年齢を重ねるほど強く実感します。
・本音で話せる
・自然体でいられる
・こちらの気遣いを自然に受け取ってくれる
・無理に頑張らなくていい
そんな関係って、結局ごく少数。
だからこそ、その数少ないつながりを丁寧に扱いたいと思うのです。
気遣いの方向性が似ていたり、
価値観の波長が近かったり、
そんな人と続いている縁というのは、
時間が流れても途切れないものなんですね。
■ 「思い出してくれる」という奇跡
今回の出来事を一言で言えば、
“ただ思い出してくれただけ”かもしれません。
でも、その“ただ”が一番尊いのだと思います。
人は誰かの頭の中でふっと浮かんだ瞬間、
その人の人生に再び登場するんですよね。
それがメッセージだったり、贈り物だったり、
たった一言の「元気にしとる?」だったり。
その小さな瞬間が、
「今日もちょっと頑張ろう」と思わせてくれたりする。
■ 結論:気遣いを交わせる関係は、人生の宝物
今回の先輩との出来事で、改めて感じました。
人生の豊かさは、気遣いを交わせる関係があるかどうかで決まる。
それは数ではなく、深さ。
多くはないからこそ、一つひとつが宝物みたいに感じられる。
10年経っても思い出してくれる人がいる。
10年経っても「元気にしとる?」と言ってくれる。
それだけで心が満たされていく。
そんな関係があることに、私は今日も感謝しています。